現役で入った大学を辞め、2浪・地方での宅浪を経て一橋大学へ

地方出身の私は、一度入った大学を辞め、地方での宅浪・二浪の末、一橋大学に入学しました(現在は卒業)。同じような選択を考えている方に向けて、少しでも考えるきっかけを提供していきたいと思っています。

現役で入った大学を辞め、宅浪を決意した経緯 ⑴現役高校三年生編

最初に自己紹介をしたいと思います。

 

私は、青森県出身です。高校卒業まで、ずっと青森県で生まれ育ちました。津軽弁訛り全開のピュアっ子でしたね。都会に来て「君超訛ってるけど、どこ出身?」と聞かれたことを未だに覚えてます。それぐらい、青森以外の人と喋ったこともなかったし、青森の社会で生きてきました。

 

一応県内ではトップクラスの高校に入っていました(弘前高校、八戸高校、青森高校のどれかですね)。しかしまぁ、あくまで青森県でトップクラスなだけで、進学実績はそこまで大したことはありません。毎年一人東大に受かればよい方で、大概の学生は地元の弘前大学か、かなりよくて東北大学に入学していました。

 

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高校三年生

 

それでは僕自身の高校三年生の時の話をします。

 

僕は、高校内の成績は比較的上位をキープしている学生でした。部活をこなしながら授業の課題をこなし、それなりに優等生の部類に入る高校生活を送っていたと思います。

 

そして現役高校三年の時には一橋大学を志望し、センター試験の結果、運よく一橋大学商学部でB判定をだすことができました。そのまま一橋大学を志望大学として、二次試験対策に入りました。

 

僕の高校はセンター試験後は大学別に二次試験対策クラスが分けられ、大学ごとの対策をすることになっていたので、僕は一橋大学向けのクラスに分けられました。しかし、クラスとは言っても、一橋大学を受ける生徒は校内に僕一人だけで、実質的に僕一人と先生とのマンツーマン指導が始まったわけです。

 

 

しかし、ここで僕はとある選択をしました。今でも後悔しており、ここが多分僕の人生ターニングポイントだったのではないかと思ってます。

 

志望大学の格下げ

 

僕は、二次試験対策中に怖気づいて、志望大学を下げたのでした。

 

 

下げた先は横浜国立大学です。なぜ志望大学のランクを下げたのか。その理由は、大きく分けて二つあると思っています。

 

一つは、一橋の二次試験問題の難しさに「怖気づいたこと」が挙げられます。

 

有名進学校では、センター試験の前も二次試験の対策をする高校が多いと聞きますが、僕の高校では、大学別の二次試験対策は、完全にセンター試験の後にするカリキュラムとなっていました。そのため、僕自身も一橋の過去問にきちんと取り組んだのはセンター試験後でした。つまり、僕の高校では一か月と少しで二次試験対策を完了する必要があったのです。

 

勉強されている方はご存知の通り、一橋大学の二次試験問題はかなり難しいです。一説によると、東京大学より難しい数学と、地歴の問題が出題されるともいわれています。そのため、僕は二次試験対策をするにつれて、「こんなに難しいとは知らなかった」、「このまま勉強を続けて、一橋大学に受かることはできるのか?」といった様々な感情が自分の心を支配していきました。

 

 

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上記の心情に拍車をかけたのが、二つ目の理由である、勉強している上での「孤独感」でした。

 

孤独感」の背景として二つあったと思います。一つは、校内で一橋大学を受ける生徒が僕一人であったため、共に励まし合える仲間がいなかったこと。もう一つは、家庭内の不和がセンター試験直前から始まったことです。

 

校内で一人だけ黙々と自分のスケジュールでの勉強を続けるのは、当時の僕にとってはかなりしんどいものでした。具体的に言えば、他の学生が志望大クラスごとにまとまって授業を受けているのに一人だけ、空き教室や図書館で黙々と勉強をしているイメージです。もちろん、ときどき東京大学志望クラスに交じって数学対策の授業を受けたり、解いた過去問の添削を先生にしてもらったりする時間はありましたが、大半の時間は一人でひたすら黙々と過去問を解く時間が多かったように思います。今までクラスでまとまって授業を受けていた中、こうした一人での勉強スタイルになり、他の友達とも具体的な受験勉強の話をする機会も減りました。「学校に来てまでどうして一人で勉強しているんだろう…」と思った記憶があります。今思えば、それくらい頑張れよって感じですが、受験は人生がかかっているというプレッシャーとそれに対する不安も相まって、当時の僕にとって、仲間がいないということがかなりきつかったように思います。次第に僕は学校内で孤独感を強めていきました。

 

そして二つ目、家庭内の不和がありました。端的に言うと、僕にとって家庭も全く落ち着けないものとなったのです。

今でも覚えています。センター試験を2週間後に控えた元旦、新年一月一日の朝、僕は両親が互いに罵り合う怒号によって目を覚ましました。僕の家は特殊な構造で、ドアというもがほとんどなく(一階から二階、三階まで吹きさらしのロッジを想像してください)、別の部屋で話している内容が全て耳に入ってくる家でした。そのため、両親の怒号は朝から僕の耳にすべて入ってきたのです。以前から喧嘩が絶えなかった両親でしたが、この時ばかりは喧嘩のレベルが違いました。母親は父親に対していままでなかったようなヒステリーを起こし、父親はそれに対してまた怒鳴り返す、というようなことが朝から長時間続きました。僕にとっては、多分過去も未来も含めて人生で最悪の元旦だったのではないかと思います。

 

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結果だけ言うと、この日を境に、両親は一切口を利かなくなり、父親に対する母親のヒステリーが続く日々が始まりました。そして、僕と弟が大学に入るまで仮面夫婦として両親は過ごすことになり、僕が二浪して一橋大学に入学、その翌年に弟が都内の大学に入学した時点で二人は離婚しました。

 

この両親の話についてはまた別の記事で詳しく書きたいと思います。とにかく僕が言いたいのは、僕が高校三年のセンター試験を控えた元旦から家庭内不和が始まったということです。

 

この不和は現役高校三年の二次試験までもちろん続き、僕は家庭内で起きるヒステリーと怒号の中、受験勉強するという状況にありました。学校内では一人黙々と勉強し、家庭内では居心地の悪さとストレスを感じながら課題をこなす日々を僕は過ごし、どこにも落ち着ける場所はないように感じていました。

 

以上が受験勉強時の、僕の「孤独感」の背景です。

 

横浜国立大学

 

こうして二次試験に対して「怖気づき」、学校でも家庭内でも「孤独感」を感じた僕は、国公立大学の入学試験選抜出願締切の直前で、志望大学を一橋大学から横浜国立大学に変えたのです。

 

 

東北大学といった旧帝大ではなく、横浜国立大学を選んだ理由は、僕の当時の友人が皆東京の大学に進学を希望していたからという些細な理由からでした。今思えばこの選択も僕にとって、浪人を決意するターニングポイントだったのかなとも思います。

 

そして、僕は横浜国立大学の二次試験を受け、無事合格しました。

 

横浜国立大学の二次試験の感触は今でも覚えています。当時の僕の学力的には、横浜国立大学の問題は非常に易しかったのです。「こんな易しい問題解くだけで入学させてくれるの??」とおこがましくも思った記憶があります。僕が今まで解いてきた一橋大学の問題は、横浜国立大学の問題より断然難しいもので、一橋に比べると横浜国立の問題はやはり簡単に思えたのです。

 

そして僕は、横浜国立大学に入学しました

 

僕は華々しい大学生活を横浜国立大学でそのままスタートさせたのです。

 

これが、僕が最初の記事である「はじめに」の中で「2浪(実質的には違うかもしれませんが)」と述べた理由です。

 

 

 

 

僕は横浜国立大学にしばらく通ったのち、この大学を辞め、受験勉強を始めたのでした。